砂漠に浮かぶ壮麗な円形都市:世界遺産ハトラ

ハトラ
イラク共和国
登録区分文化遺産
世界遺産登録年1985年
登録基準(ⅱ)(ⅲ)(ⅳ)(ⅵ)
その他の区分危機遺産
公式テキストページ中巻29p
英文タイトルHatra

※テキストは世界遺産1500(2024年発行の最新版)になります。参照はこちら

古代オリエントの歴史は、数々の帝国が興亡を繰り返す壮大な物語です。その中で、独自の文化と建築様式を花開かせた都市国家がありました。現在のイラク北部、モスルから南西に約110kmの砂漠地帯に位置する世界遺産ハトラは、パルティア帝国時代に繁栄した円形都市です。ローマ帝国とパルティア帝国の間で繰り広げられた権力闘争の狭間で、独自の宗教と文化を育み、その類まれな建築様式によって「砂漠の真珠」と称されました。2015年にユネスコの世界遺産に登録されたものの、残念ながらIS(イスラム国)による破壊活動を受け、現在は「危機に瀕する世界遺産」リストに登録されています。

目次

ハトラの誕生と発展:パルティアの影響下で花開く文化

ハトラが最初に歴史に登場するのは、紀元前3世紀頃と考えられています。ティグリス川とユーフラテス川に挟まれたメソポタミアの要衝に位置し、古代の交易路の交差点として栄えました。特に、パルティア帝国が隆盛を極める中で、その辺境の都市として徐々に発展を遂げます。

ハトラの最大の特長は、その都市計画にあります。外周約6kmに及ぶ二重の円形城壁と堀に囲まれた都市は、その中心に巨大な神殿複合体を配しています。この円形の都市形態は、古代オリエントでは非常に珍しく、おそらく防衛上の観点から採用されたものと考えられています。砂漠の広大な平野に突如として現れる円形の都市は、当時の人々にとって、まさに異世界のような光景だったに違いありません。

ハトラは、単なる軍事拠点ではありませんでした。太陽神シャマシュを主神とし、メソポタミア、ギリシア、ローマ、ペルシアなど、多様な文化の神々が祀られていました。これは、ハトラが東西文化の交流地点として機能していたことを示しています。神殿のレリーフや彫像には、ギリシア・ローマの様式と、パルティア、さらには地元のセム系の美術様式が融合した、ハトラ独自の芸術が花開きました。その造形は、見る者を惹きつけ、当時の人々の信仰と美意識の高さがうかがえます。

ローマ帝国との攻防:難攻不落の要塞都市

ハトラの歴史において、ローマ帝国との関係は避けて通れません。パルティア帝国の辺境に位置するハトラは、ローマ帝国の東方進出に対する最前線となり、たびたびその攻撃目標となりました。特に、トラヤヌス帝とセプティミウス・セウェルス帝による2度にわたる大包囲網は、ハトラの歴史に深く刻まれています。

紀元116年、トラヤヌス帝はパルティア遠征の一環としてハトラを包囲しましたが、堅固な城壁と堀、そしてハトラ住民の激しい抵抗に阻まれ、攻略を断念せざるを得ませんでした。この時、ローマ軍は補給路の途絶や疫病にも悩まされ、最終的に撤退を余儀なくされました。

さらに、紀元198年にはセプティミウス・セウェルス帝が再びハトラを包囲します。しかし、やはりハトラの守りは堅く、ローマ軍は攻城兵器を駆使しても突破することができませんでした。この時のローマ軍の撤退は、ハトラの難攻不落ぶりを象徴する出来事として語り継がれています。

ハトラがこれほどまでに強固な要塞都市となり得たのは、その円形という特異な都市計画だけでなく、二重の分厚い城壁、無数の塔、そして内部に確保された十分な食料と水の貯蔵施設があったためです。また、住民たちの強い信仰心と団結力も、外部からの攻撃に耐え抜く上で重要な役割を果たしたと考えられています。

ササン朝ペルシアの台頭とハトラの滅亡

ローマ帝国との激しい攻防を耐え抜いたハトラですが、その運命は、パルティア帝国に代わって中東に台頭したササン朝ペルシアによって大きく変わることになります。紀元3世紀初頭、ササン朝はパルティア帝国を滅ぼし、その版図を拡大していきました。

紀元241年、ササン朝のシャープール1世は、ハトラを包囲し、ついにこの難攻不落の都市を陥落させました。ハトラは徹底的に破壊され、その後、再び歴史の表舞台に現れることはありませんでした。かつて栄華を極めた円形都市は、砂漠の砂の中に埋もれ、長い眠りにつくことになります。

考古学的な再発見と世界遺産としての価値

ハトラの遺跡が本格的に発掘調査されるようになったのは、20世紀に入ってからです。イラクの考古学者たちによって、壮大な神殿群、レリーフ、彫像、碑文などが次々と発見されました。これらの発見により、ハトラが東西文化が融合した独自の芸術と宗教を持っていたことが明らかになりました。

特に重要なのが、中央に位置する太陽神殿です。この神殿は、ギリシア・ローマの神殿建築の影響を受けつつも、その内部にはメソポタミアやパルティアの要素が組み込まれています。また、神殿の壁には、ハトラの王たちや神々の像、そして彼らの信仰生活を描いたレリーフが豊富に残されており、当時の人々の生活や思想を知る上で貴重な資料となっています。

ハトラが世界遺産に登録されたのは2015年ですが、その直後にIS(イスラム国)による破壊活動の標的となりました。ISは、ハトラの偶像崇拝を否定し、ブルドーザーや爆薬を用いて多くの遺跡を破壊しました。この破壊は、ハトラだけでなく、人類共通の文化遺産に対する甚大な損失であり、国際社会に大きな衝撃を与えました。このため、ハトラは「危機に瀕する世界遺産」リストに登録され、その復旧と保護が喫緊の課題となっています。

ハトラが私たちに語りかけるもの

ハトラの遺跡を訪れることは、単に過去の建築物を見るだけではありません。そこには、古代の人々が厳しい自然環境の中で築き上げた文明の知恵と、異文化との交流から生まれた独自の芸術、そして何よりも、自由と信仰を守るために戦い抜いた人々の強い意志が刻まれています。

二重の円形城壁に囲まれた都市は、古代の都市計画と防衛技術の傑作であり、その中心にそびえる神殿群は、ハトラの人々の豊かな精神世界を物語っています。東西の文化が混ざり合い、新たな創造が生まれた場所として、ハトラは文化交流の重要性を示唆しています。

しかし、ISによる破壊は、文化遺産がいかに脆弱な存在であるか、そして紛争がいかに人類共通の宝を脅かすかを改めて私たちに突きつけました。ハトラの復旧と保護は、単なるイラクの問題ではなく、国際社会全体が取り組むべき課題です。この壮麗な円形都市が再びその輝きを取り戻し、未来の世代にその歴史と価値を語り継いでいくことを願ってやみません。

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この記事を書いた人

世界遺産ハントの管理人。

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