古代メソポタ古代メソポタミアの栄華を象徴する夢幻都市:世界遺産バビロン

バビロン
イラク共和国
登録区分文化遺産
世界遺産登録年2019年
登録基準(ⅲ)(ⅵ)
その他の区分
公式テキストページ中巻28p
英文タイトルBabylon

人類最古の文明が花開いた地、メソポタミア。その中心で、幾度となく興亡を繰り返し、その名は聖書にも記され、伝説と史実が入り混じる魅惑の都市、それが世界遺産バビロンです。現在のイラク、ユーフラテス川沿いに位置するこの古代都市は、その圧倒的な規模と芸術性、そして「空中庭園」などの伝説によって、長らく人々の想像力を掻き立ててきました。2019年、ついにその価値が認められ、ユネスコの世界遺産に登録されました。

目次

バビロンとは何か? その起源と初期の歴史

バビロンという名は、アッカド語の「バブ・イリ」(神々の門)に由来すると言われています。紀元前3千年紀には既に小さな集落が存在していましたが、本格的に歴史の表舞台に登場するのは、紀元前18世紀にアムル人のハンムラビ王がバビロン第一王朝を築いてからです。ハンムラビ王は、メソポタミア全域を統一し、かの有名な「ハンムラビ法典」を制定するなど、バビロンを強大な帝国の首都へと押し上げました。この時代、バビロンは政治、経済、文化の中心地として繁栄を極めました。

しかし、ハンムラビ王の死後、バビロンはヒッタイトやカッシートなどの異民族の侵入に苦しむことになります。特にカッシート王朝の支配下では、バビロンは一時的にその輝きを失いますが、それでもなお、メソポタミアの文化的、宗教的な中心地としての地位は保ち続けました。

新バビロニア帝国の再興と栄光の時代

バビロンがその真の最盛期を迎えるのは、紀元前7世紀後半に新バビロニア帝国が成立してからです。ネブカドネザル2世の治世(紀元前605年-紀元前562年)は、バビロンにとって「黄金時代」と称されるにふさわしい時期でした。彼は、アッシリア帝国を滅ぼし、広大な領土を支配下に置き、バビロンを世界に冠たる壮麗な都市へと変貌させました。

この時代に建設されたとされるのが、伝説の「バビロンの空中庭園」です。王が故郷を恋しがる妃のために築いたというこの庭園は、その実在性については議論があるものの、古代世界の七不思議の一つに数えられ、バビロンの繁栄と当時の建築技術の高さを示す象徴として語り継がれています。

また、ネブカドネザル2世は、巨大な都市壁「イシュタル門」や、壮大なジッグラト「エ・テメン・アン・キ」(天地の基をなす家の神殿)を築きました。特にイシュタル門は、青い釉薬をかけた煉瓦で装飾され、ライオンや牡牛、ムシュフシュ(竜)などのレリーフが施された、息をのむほど美しい建造物でした。これらの建築物は、バビロンが単なる都市ではなく、神々の住まう聖なる場所としての役割も担っていたことを示しています。聖書に登場する「バベルの塔」も、このジッグラトがモデルになったとする説が有力です。

バビロン捕囚と聖書におけるバビロン

新バビロニア帝国の支配は、ユダ王国にも及びました。紀元前586年、ネブカドネザル2世はエルサレムを陥落させ、多くのユダヤ人をバビロンへと強制的に移住させました。これが「バビロン捕囚」と呼ばれる出来事です。この苦難の経験は、旧約聖書に深く刻み込まれ、バビロンは「罪と堕落の都市」としてのイメージを持つことになります。しかし、一方でバビロンでの生活を通じて、ユダヤ人の信仰はより深まり、後のユダヤ教の形成に大きな影響を与えました。

衰退、そして忘れ去られた都市

新バビロニア帝国は、ネブカドネザル2世の死後、急速に衰退していきます。紀元前539年、アケメネス朝ペルシアのキュロス2世によってバビロンは無血開城され、その支配下に入ります。その後、アレクサンドロス大王の支配を経て、セレウコス朝の時代になると、新たな首都セレウキアが建設され、バビロンは徐々にその重要性を失っていきます。

ローマ帝国時代には、完全に廃墟と化し、その壮麗な都市は砂漠の中に埋もれていきました。何世紀もの間、バビロンは伝説の都市として語られるばかりで、その正確な位置すら不明になっていました。

再発見と世界遺産への登録

19世紀に入ると、ヨーロッパの考古学者たちがメソポタミアの遺跡発掘に乗り出します。ドイツの考古学者ロベルト・コルデワイは、1899年から第一次世界大戦勃発までバビロンの遺跡発掘を指揮し、イシュタル門やジッグラトの基壇など、多くの重要な発見をしました。彼の発掘調査によって、伝説の都市バビロンの姿がようやく明らかになったのです。

しかし、その後のイラクの政情不安や、湾岸戦争、イラク戦争といった紛争は、バビロンの遺跡に深刻な被害をもたらしました。不法な盗掘や、軍事行動による破壊、そして適切でない修復作業などが問題となり、世界遺産への登録は長らく見送られてきました。

それでも、イラク政府と国際社会の粘り強い努力の結果、2019年、ついにバビロンはユネスコの世界遺産に登録されました。この登録は、バビロンが持つ普遍的な価値が国際的に認められた画期的な出来事であり、遺跡の保護と保存に向けた新たな一歩となりました。

バビロンが私たちに語りかけるもの

現在、バビロンの遺跡は、広大な敷地の中に当時の建築物の基壇や壁の痕跡が残るのみで、かつての壮麗な姿を完全に再現することは難しいかもしれません。しかし、イシュタル門のレプリカや、ジッグラトの巨大な基壇の跡を目にすると、古代の人々がどれほど高度な文明を築き上げていたのかを肌で感じることができます。

バビロンは、人類の創造性と野心、そして繁栄と衰退のサイクルを物語る壮大な歴史の舞台です。都市計画、建築技術、法制度、天文学、数学など、多くの分野で古代メソポタミア文明が果たした貢献は計り知れません。そして、その中心にあったバビロンは、これらの文明の成果を象徴する存在と言えるでしょう。

この偉大な都市は、私たちに、文明の栄枯盛衰、そして権力と信仰の複雑な関係について深く考えさせます。そして、破壊と再生を繰り返してきたその歴史は、人類の普遍的なテーマを私たちに語りかけているかのようです。世界遺産バビロンを訪れることは、まさに古代メソポタミア文明の息吹を感じ、人類の壮大な歴史に思いを馳せる旅となるでしょう。

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この記事を書いた人

世界遺産ハントの管理人。

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