| 国 | イラン・イスラム共和国 |
|---|---|
| 登録区分 | 文化遺産 |
| 世界遺産登録年 | 2018年 |
| 登録基準 | (ⅱ)(ⅲ)(ⅴ) |
| その他の区分 | |
| 公式テキストページ | 中巻29p |
| 英文タイトル | Sassanid Archaeological Landscape of Fars Region |
※テキストは世界遺産1500(2024年発行の最新版)になります。参照はこちら
イラン南西部のファールス地方は、古代ペルシア文明の中心地として、数々の壮大な歴史を刻んできました。アケメネス朝のペルセポリスで知られるこの地で、その後に興り、約400年間にわたり強大な帝国を築いたのが、ササン朝ペルシアです。2018年、このササン朝の繁栄と文化を今に伝える8つの遺跡群が、「ファールス地方にあるササン朝の考古学的景観」としてユネスコの世界遺産に登録されました。ゾロアスター教を国教とし、ローマ帝国と並び立つ大国として君臨したササン朝の知られざる魅力を、その遺跡群から紐解いていきましょう。
ササン朝とは何か? その興隆と歴史的背景

ササン朝ペルシアは、紀元224年にアルダシール1世がパルティア帝国を打倒して建国し、651年にアラブ・イスラーム勢力に滅ぼされるまで、約400年間にわたり西アジアから中央アジアにかけて広大な領域を支配しました。彼らは、アケメネス朝の正統な後継者であると自らを位置づけ、ゾロアスター教を国教として強固な中央集権国家を築きました。ローマ帝国(後の東ローマ帝国、ビザンツ帝国)とは常に覇権を争い、時には優位に立つなど、当時の世界を二分する超大国の一つでした。
ササン朝の時代は、ペルシア文化が最も輝いた時期の一つとして知られています。国家の統一と繁栄は、建築、美術、学術、文学など、多様な分野で独自の発展を促しました。特に、その建築様式は後のイスラーム建築にも大きな影響を与えたと言われています。
世界遺産を構成する8つの遺跡群:ササン朝の多様な顔

「ファールス地方にあるササン朝の考古学的景観」を構成するのは、ササン朝の初期から中期にかけて建設された8つの遺跡群です。これらは、ササン朝の建国期における王権の確立、都市計画、建築技術、そして宗教的・政治的イデオロギーを物語る貴重な証拠となっています。
フィールーズアーバード(Firuzabad)
この地には、ササン朝初期の重要都市が複数存在します。
アルダシール・フワッラの円形都市(The Circular City of Ardashir-Khwarrah): ササン朝の創始者アルダシール1世によって建設された最初の首都です。外周に壁を持つ円形の都市設計は、古代の都市計画における革新性を示しています。これは、防御上の利点だけでなく、宇宙観を反映したものであった可能性も指摘されています。
アルダシール宮殿(Palace of Ardashir): 堅牢な石造りの壁と巨大なドームを持つこの宮殿は、ササン朝建築の特徴であるイーワーン(三方を壁に囲まれ、一方が開かれたホール)様式とドーム建築の原型を示しています。水路や庭園の跡も残り、当時の壮麗な暮らしを偲ばせます。
アルダシールの勝利のレリーフ(Relief of Ardashir’s Victory): アルダシール1世がパルティア最後の王アルタバーヌス4世を打ち破った場面を描いた巨大な岩壁レリーフです。ササン朝の建国を記念するもので、その力強い表現は、新たな帝国の誕生を宣言しています。
ビシャプール(Bishapur)
ササン朝第二代皇帝シャープール1世によって建設された都市です。
シャープール宮殿(Palace of Shapur I): ローマ皇帝ウァレリアヌスを捕虜にしたシャープール1世の偉業を記念して建てられた壮大な宮殿です。その建築様式は、ローマ建築の影響を受けつつも、ペルシア独自の要素が融合したものであり、東西文化の交流の証でもあります。
タング・エ・チョーガン(Tang-e Chogan): ビシャプールの近くにある渓谷で、シャープール1世のローマ帝国に対する勝利などを描いた複数のレリーフが残されています。これらのレリーフは、ササン朝の軍事的栄光と、王の神格化を表しています。
サルヴェスターン(Sarvestan)
サルヴェスターン宮殿(Palace of Sarvestan): 時代は不明確なものの、ササン朝後期に建てられたと考えられています。石とモルタルで造られたこの建築物は、ドームとアーチの構造が特に優れており、後のイスラーム建築における技術的発展に影響を与えたとされています。
これらの遺跡群は、ササン朝の建国から発展期にかけての、政治、宗教、芸術、そして社会のあり方を包括的に示しています。特に、都市の計画性、王権の象徴としての記念碑的建築物、そして岩壁レリーフに表現されたプロパガンダは、ササン朝が意図的に自らの権威と正統性を確立しようとした証拠と言えるでしょう。
ササン朝建築の革新性:イーワーンとドーム

ササン朝の建築は、その後のイスラーム建築に多大な影響を与えたことで知られています。特に、「イーワーン」と「ドーム」の発展は、その代表的な例です。
イーワーン(Iwan): 三方を壁に囲まれ、一方が大きく開かれたホール形式は、ササン朝時代に完成され、宮殿や神殿の主要な空間として用いられました。その壮大さと開放感は、王の威厳を示すと同時に、儀式的な空間としても機能しました。
ドーム(Dome): 正方形の部屋の上に円形のドームを乗せる「スクインチ」と呼ばれる技術がササン朝で確立され、より大きな空間にドームを架けることが可能になりました。これは、空間の象徴性や視覚的な美しさを追求する上で極めて重要な技術革新であり、後のモスクや霊廟の建築に広く用いられることになります。
ファールス地方の遺跡群では、これらの建築様式が初期段階から試みられ、発展していった様子を目の当たりにすることができます。石とモルタルを巧みに使い、大規模な建築物を生み出したササン朝の技術力は、当時の世界でも最先端だったと言えるでしょう。
ゾロアスター教と王権の結びつき
ササン朝は、ゾロアスター教を国教とし、その教義が社会全体に深く浸透していました。最高神アフラ・マズダーへの信仰は、王権の正統性を支える基盤となり、王は神の代理人として認識されていました。
遺跡に残るレリーフには、王がゾロアスター教の神々と共に描かれたり、神から王権の象徴を授けられたりする場面が見られます。これは、王が単なる世俗の支配者ではなく、神聖な存在であることを民衆に示すためのものでした。また、ゾロアスター教の火の神殿の跡も発掘されており、当時の宗教生活の一端を垣間見ることができます。
世界遺産としての価値と保護の課題
「ファールス地方にあるササン朝の考古学的景観」が世界遺産に登録されたのは、その「類まれな普遍的価値」が認められたためです。具体的には、
・ササン朝帝国の文化と文明の傑出した証拠であること。
・ササン朝独自の都市計画、建築技術、芸術様式が後のイスラーム世界に与えた影響を証明すること。
・ゾロアスター教が国家イデオロギーとして機能した様子を示すこと。
などが挙げられます。
現在、これらの遺跡群は、イラン文化遺産・観光・手工芸省によって保護・管理されています。しかし、広大な地域に点在する遺跡の保護には、自然環境による風化、観光客の増加、そして周辺地域の開発とのバランスなど、様々な課題が存在します。また、国際的な研究機関との協力体制を強化し、さらなる発掘調査と保存修復活動を進めていくことが重要です。
結びに
ファールス地方にあるササン朝の考古学的景観は、古代ペルシア文明のもう一つの黄金時代、ササン朝帝国の栄光を今に伝える貴重な遺産です。ペルセポリスのアケメネス朝とは異なる、しかし同等に壮麗で革新的な文化がこの地で花開いたことを、遺跡群は静かに語りかけています。
円形の都市、巨大なドーム、そして力強いレリーフの数々は、当時の人々の並外れた創造性と、強大な帝国の威厳を私たちに伝えています。この世界遺産は、単なる歴史の証人ではなく、古代ペルシアの知恵と芸術、そして信仰の深さを現代に伝える生きた博物館なのです。ファールス地方を訪れる機会があれば、ぜひこの壮大なササン朝の足跡を辿り、悠久の時の流れに思いを馳せてみてください。

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