| 国 | イエメン共和国 |
|---|---|
| 登録区分 | 文化遺産 |
| 世界遺産登録年 | 2023年 |
| 登録基準 | (ⅲ)(ⅳ) |
| その他の区分 | 危機遺産 |
| 公式テキストページ | 中巻33p |
| 英文タイトル | Landmarks of the Ancient Kingdom of Saba, Marib |
※テキストは世界遺産1500(2024年発行の最新版)になります。参照はこちら
今回は、中東イエメンに位置する、まさに伝説と呼ぶにふさわしい世界遺産、「マリブ:古代サバ王国の代表的遺跡群」をご紹介します。残念ながら現在の情勢により訪れることは難しい状況ですが、その壮大な歴史と、砂漠に花開いた古代文明のロマンに触れてみましょう。この地は、紀元前10世紀頃から栄えた古代サバ王国(シェバ王国)の繁栄を今に伝える貴重な証拠として、2023年にユネスコ世界遺産に登録されました。
聖書の記述と現実が交錯する地

サバ王国と聞いて、ピンとくる方もいらっしゃるかもしれません。そう、旧約聖書に登場する「シバの女王」が統治したと伝えられる伝説の王国、それがサバ王国なのです。マリブは、そのサバ王国の首都として栄え、古代南アラビアの政治、経済、そして精神の中心地でした。この世界遺産は、その輝かしい時代を物語る複数の遺跡群から構成されています。
砂漠のオアシス都市:マリブの繁栄を支えたもの

マリブが繁栄を極めた最大の要因は、その地理的優位性と、高度な水利技術にありました。当時、マリブは「香料の道(インセンス・ルート)」と呼ばれる重要な交易路の中継地点に位置していました。乳香(フランキンセンス)や没薬(ミルラ)といった高価な香料は、南アラビアで生産され、エジプト、メソポタミア、地中海世界へと運ばれていました。マリブは、この交易によって莫大な富を築き上げたのです。
そして、その富を支えたのが、大規模な灌漑システムでした。マリブは、年間降水量が非常に少ない乾燥地帯に位置していますが、季節性のワディ(涸れ川)から流れ込む水を巧みに利用することで、広大な農耕地を潤していました。その象徴が、今回ご紹介する主要な遺跡の一つである「マリブ・ダム」です。
マリブ・ダム:古代世界の驚異の技術

マリブ・ダムは、紀元前8世紀頃に建設が始まり、数世紀にわたって拡張・改修が繰り返された、古代世界の土木技術の傑作です。ワディ・ダナに築かれたこのダムは、最大で長さ600メートル、高さ15メートルにも達し、広大な貯水池を形成していました。この貯水池から、精密に設計された水路網を通じて、数万ヘクタールもの農地が灌漑され、穀物やナツメヤシなどが栽培されていたと考えられています。
マリブ・ダムの崩壊は、サバ王国の衰退と結びつけられることが多く、アラブの伝承やクルアーンにもその物語が語られています。しかし、20世紀になって発掘調査が進むにつれて、ダムは何度か修復され、その歴史はより複雑であったことが明らかになっています。このダムは、古代イエメンの人々がいかに自然の力と向き合い、高度な文明を築いたかを示す、まさに驚異の遺産です。
荘厳な神殿群:信仰と権力の象徴
マリブの遺跡群には、ダムだけでなく、サバ王国の精神的支柱であった壮麗な神殿群も含まれています。
アッワーム神殿(マフラム・ビールキース):月の神の聖域
マリブの主要な神殿の中でも最も規模が大きく、保存状態が良いとされるのが、このアッワーム神殿です。サバ王国で崇拝されていた主神である月の神「アルマカー」に捧げられた神殿で、その壮大な楕円形の壁に囲まれた構造は圧巻です。神殿の内部からは、数多くの碑文や奉納品が発見されており、当時の宗教儀式や人々の信仰、そしてサバ王国の歴史を読み解く重要な手がかりとなっています。特に、入口にある8本の巨大なモノリス(石柱)は、その威容で訪れる者を圧倒します。
バラーキシュ神殿(アラーム・ハルナン):太陽神の崇拝
アッワーム神殿とは異なる、太陽神「シャムス」に捧げられた神殿もマリブには存在します。バラーキシュ神殿はその一例で、規模は小さいものの、その建築様式や装飾からは、古代サバ王国の多様な信仰形態を垣間見ることができます。これらの神殿は、王権の正当性を示す場でもあり、宗教と政治が密接に結びついていたことを示しています。
市街地遺跡と古代の生活
マリブの遺跡群には、ダムや神殿だけでなく、古代の都市の痕跡も含まれています。かつての市街地跡からは、住居や市場、行政施設などの跡が見つかっており、当時の人々の日常生活を想像することができます。また、数多くの碑文が刻まれた石板や彫刻も発見されており、これらは古代南アラビア語の研究に不可欠な資料となっています。
香料の道の終着点、そして新たな始まり
マリブの繁栄は、ローマ帝国の台頭とともに香料の道の重要性が薄れ、海上交易が主流となるにつれて徐々に陰りを見せ始めます。そして、紀元後6世紀のマリブ・ダムの最終的な決壊は、この偉大な王国の終焉を象徴するものとなりました。しかし、その遺跡群は、数千年の時を超えて、古代アラビア文明の輝かしい歴史を私たちに語り続けています。
残念ながら、現在の情勢ではマリブへの訪問は極めて困難ですが、いつかこの地を訪れることができる日が来ることを願ってやみません。マリブの遺跡群は、砂漠という厳しい環境で人類がいかに知恵と技術を駆使し、偉大な文明を築き上げたかを示す、壮大な物語の証人なのです。

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