| 国 | トルコ共和国 |
|---|---|
| 登録区分 | 文化遺産 |
| 世界遺産登録年 | 1988年 |
| 登録基準 | (ⅱ)(ⅲ) |
| その他の区分 | |
| 公式テキストページ | 中巻26p |
| 英文タイトル | Xanthos-Letoon |
トルコ南西部の地中海沿岸地域に、かつてリュキアという古代文明が栄えていました。その中心都市であったクサントスと、その聖域であったレトーンは、リュキア独自の文化、芸術、そして言語の痕跡を色濃く残す、非常にユニークな世界遺産です。1988年に世界遺産に登録されたこの地は、ギリシャやペルシャ、ローマといった大帝国の影響を受けつつも、独自のアイデンティティを保ち続けたリュキア人の知られざる歴史を今に伝えています。
このブログ記事では、クサントスとレトーンの歴史、その独特な建築と墓制、そして世界遺産としての深遠な価値について、詳しく解説していきます。地中海の風が吹くリュキアの聖なる地で、古代文明の謎に触れてみましょう。
謎の文明リュキア:地中海に咲いた独自の文化

リュキアは、現在のトルコ南西部のテケ半島に位置していた古代文明で、その歴史は紀元前2千年紀にまで遡るとされています。彼らは独自の言語(リュキア語)と文字を持ち、その文化は古代ギリシャやペルシャ、ローマといった強大な文明の影響を受けつつも、ユニークな発展を遂げました。
リュキア人は、独立心が強く、勇敢な民族として知られており、ペルシャ帝国やギリシャの都市国家、ローマ帝国などと複雑な関係を築きながら、その自治を比較的長く保ちました。特に、リュキア同盟と呼ばれる都市国家間の連合を形成し、共通の外交政策や軍事行動をとることで、その独立性を維持しようとしました。
クサントスは、このリュキア同盟の最大かつ最も重要な都市であり、その政治、経済、文化の中心地でした。一方、レトーンはクサントスからわずか数キロ離れた場所にある、リュキアの主要な神々を祀るための聖域であり、精神的な中心地としての役割を担っていました。
しかし、紀元前4世紀にはペルシャに支配され、その後はギリシャ、セレウコス朝、そして最終的にローマ帝国の支配下に入り、紀元後にはリュキア語も使われなくなり、その文化は徐々に消滅していきました。
クサントス:リュキアの魂が宿る都市遺跡

クサントスは、リュキア人の精神と独立性を象徴する都市です。度重なる破壊と再建の歴史を持ち、その遺跡からはリュキア独自の建築様式と墓制を垣間見ることができます。
独自の墓制:岩窟墓と石棺墓
クサントスで最も特徴的なのは、その独自の墓制です。リュキア人は、死後の世界を重視し、様々な形式の壮麗な墓を築きました。
岩窟墓: 都市周辺の切り立った岩壁に彫られた墓で、神殿のファサード(正面)を模した精巧な彫刻が施されています。中には複数の部屋を持つものもあり、まるで古代の神殿が岩山に埋め込まれているかのようです。
石棺墓(フリースタンディング型): 独立した石製の棺で、多くは高い台座の上に設置されています。屋根の部分が逆さに置かれた船の底のような形をしているのが特徴で、これはリュキア人が海の民であったことを示唆しているとも言われます。
柱状墓: 高さのある柱の上に墓室が設けられた独特の形式の墓です。これは、死者が天に近い場所から地上を見守るという信仰を反映しているとされています。
これらの墓は、単なる埋葬施設ではなく、リュキア人の高度な石工技術と、死生観、そして芸術性を今に伝える貴重な資料です。
アゴラと劇場、そしてネレイデス・モニュメント

クサントスの中心部には、古代ギリシャ都市に見られるアゴラ(広場)や劇場の跡が残っています。劇場はローマ時代に改築されたものですが、その背後にはリュキア時代の岩窟墓が複数見られ、異なる時代の遺構が混在するユニークな景観を作り出しています。
かつてアクロポリス(高台の城塞)の南西斜面には、リュキア王の墓であるネレイデス・モニュメントがそびえていました。これは、ギリシャ神殿の形式にリュキアの要素が融合した壮麗な霊廟で、海の精ネレイデス像の彫刻が有名でした。現在、その彫刻や建築部材の多くは、19世紀にイギリスの考古学者チャールズ・フェローズによってロンドンへと持ち去られ、大英博物館に収蔵されていますが、その基礎部分から当時の壮大さをうかがい知ることができます。
レトーン:リュキアの主要な聖域
クサントスから南西にわずか数キロ離れた場所にあるレトーンは、リュキアにおける最も重要な宗教的中心地でした。古代リュキア人が崇拝した主要な神々、特にレトー、アポロン、アルテミスに捧げられた神殿群が存在していました。
三つの神殿と聖なる泉
レトーン遺跡のハイライトは、同じ敷地内に並んで立つ三つの神殿跡です。西から順に、アルテミス神殿、アポロン神殿、そして最も大きいレトー神殿が配置されていました。これらの神殿は、ギリシャ様式の影響を受けつつも、リュキア独自の宗教儀式が行われていたと考えられています。
また、レトーンには聖なる泉があり、その泉にはレトーがアポロンとアルテミスを出産したという神話が伝えられています。この泉は、古代リュキア人にとって重要な巡礼地であり、治癒や予言の力を持つと信じられていました。
三言語碑文と劇場
レトーンの敷地からは、リュキア語、ギリシャ語、アラム語の三言語で記された碑文が発見されています。この碑文は、紀元前337年にリュキアがペルシャの支配下にあった時期に建てられたもので、レトー神殿の再建や、宗教的な規定について記されています。この三言語碑文は、古代オリエントの「ロゼッタストーン」の一つとして、リュキア語の解読に大きく貢献しました。
レトーンには、神殿群に隣接して小さな劇場の跡も残っています。これは、宗教儀式の一環として演劇や祭典が行われたことを示唆しており、当時の聖域における多面的な活動を物語っています。
世界遺産としての価値と保護
クサントスとレトーンは、1988年に以下の基準を満たして世界遺産に登録されました。
(ii) 文化的価値の交流を示すもの: この遺跡は、紀元前5世紀から紀元後3世紀にかけて、リュキア人がギリシャ、ペルシャ、そしてローマといった異なる文明とどのように交流し、影響を受け、そして独自の文化を形成していったかを示す顕著な例です。特に、芸術、建築、そして言語に見られる融合は、そのユニークな価値を示しています。
(iii) 現存する、または消滅した文明や文化の唯一の証拠: リュキアという独特の文明の存在、その発展、そして消滅の過程を伝える唯一無二の考古学的証拠です。特に、リュキア語と文字の痕跡は、この失われた文明を理解する上で不可欠です。
クサントスとレトーンは、その遺跡の構成要素、配置、そして残された碑文や彫刻が、リュキア文明の真実性(Authenticity)と完全性(Integrity)を高く保っています。
現在、トルコ文化観光省が、国際的な専門機関(特にフランス考古学研究所による継続的な発掘調査)と協力し、遺跡の保存修復、調査研究、そして適切な観光管理に取り組んでいます。遺跡の風化、土壌侵食、そして観光客の増加に伴う物理的な損傷などへの対策が継続的に行われています。特に、ネレイデス・モニュメントのような持ち去られた遺産については、その復元や返還に関する国際的な議論も継続されています。
クサントスとレトーンが私たちに語りかけるもの
クサントスとレトーンを訪れると、地中海の眩しい陽光の下、リュキア人がいかにしてこの地に独自の文明を築き、そしてその魂を後世に伝えようとしたのかを肌で感じることができます。岩壁に刻まれた精巧な墓や、聖なる泉の静けさは、古代の人々の信仰と死生観、そして芸術への情熱を物語っています。
これらの遺跡は、歴史の表舞台に立つことは少なかったかもしれませんが、強大な隣接する文明と渡り合いながら、独自の文化を守り続けたリュキア人の「粘り強さ」を教えてくれます。そして、言語が失われ、文明が滅び去っても、その痕跡が大地に残り、私たちに語りかけてくることの尊さを再認識させてくれます。
トルコの地中海沿岸に静かに眠るクサントスとレトーンは、今もなお、リュキア文明の謎と美を私たちに問いかけています。ぜひ一度、この聖なる地を訪れ、古代文明の息吹と、その独特な世界観に触れてみてはいかがでしょうか。

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