悠久の歴史が交差する知の都:世界遺産タキシラの都市遺跡

タキシラ
パキスタン・イスラム共和国
登録区分文化遺産
世界遺産登録年1980年
登録基準(ⅲ)(ⅵ)
その他の区分
公式テキストページ中巻29p
英文タイトルTaxila

※テキストは世界遺産1500(2024年発行の最新版)になります。参照はこちら

パキスタン北部に位置するタキシラは、古代の交易路が交差し、様々な文明が融合し、そして仏教文化が花開いた歴史的な都市です。その広大な都市遺跡群は、紀元前6世紀から紀元7世紀にかけて、政治、経済、文化、そして学問の中心地として栄えた証しであり、その類まれな普遍的価値が認められ、1980年にユネスコの世界遺産に登録されました。東西文明の架け橋となり、古代の知の光を放ったタキシラの魅力に迫ります。

目次

タキシラとは何か? その地理と歴史的背景

タキシラは、現在のパキスタン、パンジャーブ州の州都ラーワルピンディーから北西に約35kmに位置します。ヒマラヤ山脈の麓に広がる肥沃な平野にあり、古くからインド亜大陸、中央アジア、西アジアを結ぶ重要な交易路(シルクロードの一部)の要衝でした。この地理的条件が、タキシラが多様な文化を受け入れ、発展する基盤となりました。

タキシラの歴史は非常に古く、紀元前6世紀にアケメネス朝ペルシアの支配下に入ったことから本格的に始まります。その後、紀元前4世紀にはアレクサンドロス大王の遠征によってギリシア文化の影響を受け、さらに紀元前3世紀にはマウリヤ朝アショーカ王の時代に仏教が伝わり、その中心地として繁栄しました。

三つの主要都市:歴史の層を重ねるタキシラ

タキシラの都市遺跡は、時代ごとに発展した三つの主要な都市遺跡群によって構成されています。これらはそれぞれが異なる時代の特徴を持ち、タキシラの歴史の変遷を物語っています。

ビル丘(Bhir Mound):初期のタキシラ
最も古い都市遺跡が、ビル丘です。紀元前6世紀から紀元前2世紀頃までの都市層が確認されており、アケメネス朝時代からマウリヤ朝初期にかけてのタキシラの姿を今に伝えています。整然とした都市計画や、レンガ造りの家屋の基礎が見つかっており、古代都市としての機能が確立されていたことが伺えます。

シルカプ(Sirakp):ヘレニズムとインドの融合
ビル丘の北東に位置するシルカプは、紀元前2世紀から紀元1世紀頃の都市遺跡です。ギリシア系のバクトリア王国やインド・ギリシア王国の時代に築かれ、ヘレニズム文化とインド文化が融合した「ガンダーラ美術」が花開いた場所です。都市はギリシアの都市計画に典型的な碁盤の目状に整備され、神殿、住居、商店などが配置されていました。特に、ギリシア様式とインド様式が融合した建築様式は、当時の文化交流の活発さを示しています。また、仏教寺院も建てられ、仏教がこの地域に定着していった様子が窺えます。

シルスク(Sirsukh):クシャーナ朝の壮麗な都
最も新しい都市遺跡が、シルカプの北東に位置するシルスクです。紀元1世紀から紀元3世紀頃にかけて、クシャーナ朝の時代に建設されました。クシャーナ朝は、中央アジアからインド北部にかけて広大な帝国を築き、仏教を熱心に保護しました。シルスクは、このクシャーナ朝の最盛期におけるタキシラの姿を伝えるものであり、より強固な城壁に囲まれ、大規模な仏教僧院や仏塔が数多く建設されました。その堅牢な要塞としての構造は、当時の不安定な政治情勢を反映しているとも考えられます。

ガンダーラ美術の誕生と学問の中心地

タキシラが世界的にその名を知られる大きな要因の一つが、ガンダーラ美術の発祥地であることです。ヘレニズム文化の写実的な表現技法と、インドの仏教思想が融合して生まれたガンダーラ美術は、仏像の制作に大きな影響を与えました。それまでのインドでは、仏陀は法輪や菩提樹などの象徴で表現されていましたが、ガンダーラでは初めて人間の姿をした仏像が作られました。このガンダーラ様式の仏像は、その後の東アジアの仏教美術にも多大な影響を与え、日本にもその流れが伝わっています。

また、タキシラは単なる宗教都市や交易都市に留まらず、古代インドにおける重要な学問の中心地でもありました。伝説によれば、紀元前7世紀には既にタキシラ大学(タキシラ学園)が存在していたとされ、世界最古の大学の一つに数えられます。ここでは、医学、哲学、天文学、数学、軍事学、芸術など、様々な分野の学問が教えられ、インド各地や遠く離れた中央アジアからも多くの学生が集まりました。かの有名な古代インドの思想家であり、マウリヤ朝の宰相でもあったチャンドラグプタ・マウリヤの師チャナキヤも、タキシラで学んだとされています。

衰退と再発見:タキシラの運命

タキシラは、紀元3世紀以降、ササン朝ペルシアの侵攻や、エフタル(白いフン族)の襲来によって徐々に衰退していきます。特にエフタルの破壊活動は甚大で、多くの仏教僧院や仏塔が破壊され、タキシラの繁栄は終焉を迎えました。その後、この地は忘れ去られ、砂漠の中に埋もれていきました。

タキシラが再び光を浴びるのは、19世紀に入ってからです。イギリスの考古学者アレクサンダー・カニンガムがこの地の調査を開始し、その後、ジョン・マーシャル卿による大規模な発掘調査によって、その壮大な都市遺跡が次々と発見されました。彼らの功績によって、タキシラの歴史的、文化的価値が世界に知られるようになりました。

世界遺産としての価値と現在の課題

タキシラの都市遺跡が世界遺産に登録されたのは、その「類まれな普遍的価値」が認められたためです。具体的には、

・多様な文明の連続的な発展と融合を示す証拠であること。
・ヘレニズム文化とインド文化が融合したガンダーラ美術の発祥地であること。
・古代インドにおける学問の中心地であったこと。
などが挙げられます。

現在、タキシラの遺跡群は、パキスタン政府の管理のもと、保存・修復作業が進められています。遺跡の保存には、気候変動による風化や、不法な盗掘、そして観光客の増加に伴う負荷など、様々な課題があります。また、周辺地域の開発とのバランスを取りながら、遺跡の保護と地域の発展を両立させることも重要な課題です。

結びに

世界遺産タキシラの都市遺跡は、古代の知と信仰、そして東西文化の交流が凝縮された場所です。幾世紀にもわたり、様々な民族と文明がこの地に足跡を残し、互いに影響を与え合いながら独自の文化を育んできました。ガンダーラ美術の美しい仏像や、古代大学の学術的な伝統は、人類の普遍的な創造性と探求心を示しています。

タキシラを訪れることは、単に過去の遺物を辿るだけでなく、人類の壮大な歴史、文化の多様性、そして知識の追求がいかに重要であるかを再認識する旅となるでしょう。この歴史の宝庫が、未来の世代にもその輝きを伝え続けてくれることを願ってやみません。

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この記事を書いた人

世界遺産ハントの管理人。

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