バビロン

バビロン
サファ・ダネシュヴァル, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
イラク共和国
登録区分文化遺産
世界遺産登録年2019年
登録基準(ⅲ)(ⅵ)
その他の区分
公式テキストページ中巻28p
英文タイトルBabylon

※テキストは世界遺産1500(2024年発行の最新版)になります。参照はこちら

バビロンとは

世界7不思議“空中庭園”とも関わる新バビロニア帝国の首都

バビロンは、イラク中部のユーフラテス川沿いに位置する古代都市遺跡であり、2019年にユネスコの世界遺産に登録されました。この都市は、紀元前626年から紀元前539年にかけて新バビロニア帝国の首都として栄え、政治・文化・宗教の中心地として重要な役割を果たした貴重な考古学遺産として高く評価されています。

地理と歴史的背景

バビロンは、メソポタミア文明の中心地として発展し、ハンムラビ王やネブカドネザル2世の統治下で繁栄しました

  • ハンムラビ王の統治
    紀元前18世紀頃、バビロンはハンムラビ王の支配下で統一され、法典「ハンムラビ法典」が制定されました
  • ネブカドネザル2世の建築事業
    紀元前6世紀、新バビロニア帝国の王ネブカドネザル2世は都市を拡張し、壮麗な宮殿や神殿を建設しました
  • アケメネス朝ペルシアによる征服
    紀元前539年、キュロス2世率いるペルシア軍がバビロンを征服し、都市は衰退しました

主要な景観と特徴

バビロンには、メソポタミア文明の建築技術と宗教的信仰を示す貴重な遺構が点在しています

  • イシュタル門
    青いレンガで装飾された壮麗な門で、バビロンの象徴的な建造物の一つです
  • ジッグラト(エテメンアンキ)
    バビロンの中心に位置する巨大な聖塔で、「バベルの塔」のモデルとされています
  • 宮殿と神殿
    ネブカドネザル2世の宮殿やマルドゥク神殿が建設され、宗教儀式の場として使用されました

文化的価値と遺産保護

バビロンは、メソポタミア文明の政治・文化・宗教の中心地として極めて重要な遺産として、世界的に認識されています。

ユネスコの世界遺産登録後、イラク政府や国際機関による保護活動が進められています。特に、遺跡の保存と観光管理が強化され、持続可能な遺産保護が行われています

現代における意義

バビロンは、古代メソポタミア文明の歴史と文化を学ぶ場として、世界的に注目されています。特に、都市計画や宗教的影響の発展、持続可能な遺産保護の重要性を理解する上で重要な拠点となっています。

この遺跡を訪れることで、イラクの壮大な歴史と文化の価値を体験しながら、古代文明の遺産について考える機会を得ることができます。未来の世代へ向けて、その価値を伝え続けるべき遺産として、今後も保護と活用が進められていくでしょう。

バビロンは、古代メソポタミアにおける最も有名な都市のひとつであり、現在のイラク中部、ユーフラテス川沿いに位置する歴史的遺跡です。紀元前3千年紀末頃から都市としての活動が始まり、紀元前18世紀頃にハンムラビ王のもとでバビロニア第一王朝の首都として台頭しました。その後も、カッシート朝、新バビロニア王国をはじめとする多くの時代を通じて、政治、経済、宗教、文化の中心地として繁栄を極めました。2019年にはその普遍的価値が認められ、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

バビロンの名は、アッカド語で「神の門」を意味する「バービル」に由来します。この都市は古代オリエント世界の中でも特に象徴的な存在であり、多くの文献や神話において神秘的な都として描かれています。旧約聖書では人類の傲慢を象徴する「バベルの塔」の舞台とされ、また「バビロン捕囚」の地としても知られ、後世の文化や宗教思想に大きな影響を及ぼしました。

ハンムラビ王(在位:紀元前18世紀)は、この地で最初の全メソポタミア統一を成し遂げた人物であり、法典の編纂でも知られます。ハンムラビ法典は、成文法の歴史における重要な資料であり、バビロンの政治的正統性と統治理念を体現しています。

とりわけ都市が最盛期を迎えたのは、新バビロニア王国時代、ネブカドネザル2世(在位:紀元前605~562年)の治世においてでした。この時期、バビロンは広大な城壁、壮大な宮殿群、宗教的建造物で彩られ、古代世界における「世界の都」としての威容を誇りました。とくに「マルドゥク神殿(エサギラ)」と「ジッグラト(バベルの塔のモデルとされる建造物)」は、宗教的中心として都市の中枢に位置していました。さらに、古代世界の七不思議のひとつに数えられる「空中庭園」がこの都市に存在したとされることでも有名です(ただしその実在には議論があります)。

都市はユーフラテス川の両岸に広がり、人工的に調整された運河や橋梁によって交通と農業が支えられていました。また、「イシュタル門」と呼ばれる鮮やかな青釉タイルの門は、祭礼行進の起点として重要な儀礼空間を形成し、都市の威光を象徴していました。この門の装飾はライオンや牡牛など神聖動物の浮彫で彩られ、宗教的・芸術的完成度の高さを示しています(現在はベルリンのペルガモン博物館に展示)。

紀元前6世紀末にはアケメネス朝ペルシアに征服され、その後もセレウコス朝やパルティア、サーサーン朝の支配下で重要な都市として存続しましたが、次第に政治的中心性を失い、やがて廃墟と化していきました。

今日のバビロン遺跡には、上述の神殿跡、宮殿遺構、城壁や門、古代の都市区画の痕跡が広範囲に残されており、古代都市文明の成立と発展、そしてその象徴性を理解するうえで極めて重要な考古学的資料を提供しています。バビロンは、古代オリエントにおける王権と宗教の統合、市民社会の形成、建築技術の発展を象徴する、世界文化遺産としての価値を今に伝えています。

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この記事を書いた人

世界遺産ハントの管理人。

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