古代高句麗王国の都城と古墳群

高句麗王国の都城と古墳群
バート0278, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
中華人民共和国
登録区分文化遺産
世界遺産登録年2004年
登録基準(ⅰ)(ⅱ)(ⅲ)(ⅳ)(ⅴ)
その他の区分
公式テキストページ中巻120p
英文タイトルCapital Cities and Tombs of the Ancient Koguryo Kingdom

※テキストは世界遺産1500(2024年発行の最新版)になります。参照はこちら

古代高句麗王国の都城と古墳群とは

高句麗王国独自の文化を残す遺跡群

中国の高句麗王国の都城と古墳群は、中国東北部に位置する高句麗王国の歴史的遺産群であり、2004年にユネスコの世界遺産に登録されました。高句麗は、紀元前37年に建国され、668年に滅亡するまで、朝鮮半島北部と中国東北部を中心に広がった強大な王国でした。この遺産群は、高句麗王国の政治、文化、軍事力を物語る貴重な遺跡であり、その規模や建築技術、また王族の葬儀文化に関する重要な情報を提供しています。

高句麗王国の都城と古墳群は、中国の遼寧省、吉林省、黒竜江省などに分布しており、その中心地は集安(チッアン)に位置しています。集安は高句麗王国の最盛期、特に5世紀から7世紀にかけての政治、軍事、文化の中心地として栄えました。ここには、高句麗の王たちが住んだ王宮や防御施設、そして都市の遺跡が残されており、当時の都市構造や生活様式を垣間見ることができます。

高句麗の都城は、その規模や防御力が特徴的です。都城は山の斜面に築かれ、堅牢な城壁や防衛設備が施されていました。これにより、高句麗は周辺の侵略者から自国を守ることができました。また、都城内には王族や貴族、軍人が住んでいたとされ、政治や軍事の中心地として、国家の統治が行われていました。集安の都城遺跡群は、高句麗の軍事力と支配力を象徴するものであり、またその設計には自然との調和を重視した儒教的な思想も見られます。

さらに、高句麗王国の古墳群は、王族や貴族、英雄たちの墓所として、非常に重要な考古学的な価値を持っています。特に「高句麗古墳群」として知られる墓地群は、韓国と中国の境界にまたがる広い範囲に点在しており、その数は1000を超えるとされています。これらの古墳は、円墳や方墳、地下墓室を持つものが多く、当時の葬儀習慣や社会構造、信仰などを理解する手がかりとなります。

高句麗王国の古墳の中でも特に注目すべきは、その壁画です。高句麗の墓には、王や王妃を葬った墓所に精緻な壁画が描かれており、これらの壁画は高句麗の宗教的・文化的な信念を色濃く反映しています。壁画には、死後の世界や神々の像、日常生活の様子などが描かれており、高句麗の社会や宗教観を理解するために非常に貴重な資料です。特に「長嶺古墳」や「大明山古墳」の壁画は、その細部にわたる描写や色彩の美しさから、高句麗の芸術的な水準を示しています。

また、高句麗の墓所には石像や石碑も多数残されており、これらは王やその家族の霊を守るための儀式の一環として配置されています。墓の周囲には、霊的な守護を担う神々や動物の像が立っており、当時の信仰体系を垣間見ることができます。

これらの遺跡群は、高句麗王国の政治的・軍事的な強さを象徴するものであり、またその文化や宗教的価値観を反映した重要な遺産です。高句麗王国の都城と古墳群は、その精緻な建築、芸術、そして墓所に施された壁画などを通じて、当時の高い文化水準を伝えています。これらの遺産は、高句麗王国の栄光とその後の東アジアに与えた影響を物語るものであり、世界遺産としての価値は非常に高いものです。

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この記事を書いた人

世界遺産ハントの管理人。

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