ヨーロッパに世界遺産が多いのはなぜか
はじめに:数字が語るヨーロッパの存在感
世界遺産は、ユネスコ(国際連合教育文化機関)が認定する「顕著な普遍的価値(Outstanding Universal Value: OUV)」を持つ文化財や自然地域を指します。
これは、その場所が特定の国や地域だけでなく、全人類にとってかけがえのない宝物であり、未来の世代に引き継ぐべきものと認められた証です 。
世界遺産条約は、文化遺産と自然遺産の保護を単一の文書で結びつけた画期的な国際条約であり、人類と自然の相互作用の重要性を認識しています 。
2024年7月現在、世界全体で1,223件の世界遺産が登録されており、そのうち文化遺産が952件、自然遺産が231件、複合遺産が40件です 。
地域別に見ると、「ヨーロッパ・北米」が圧倒的な数を誇り、573件(全体の約46.9%)を占めています。これは他のどの地域よりもはるかに多い数字です 。
以下の表は、世界遺産登録数の国別トップ10を示しています。イタリアが最多の60件で、中国、ドイツ、フランス、スペインと続き、上位の多くをヨーロッパ諸国が占めていることが明確に示されています 。
日本は26件(文化遺産21件、自然遺産5件)で、世界的に見ても上位に位置しています 。
表1:世界遺産登録数 国別トップ10(2024年7月時点)
| 順位 | 国名 | 世界遺産登録件数 |
|---|---|---|
| 1 | イタリア | 60 |
| 2 | 中国 | 59 |
| 3 | ドイツ | 54 |
| 4 | フランス | 53 |
| 5 | スペイン | 50 |
| 6 | インド | 43 |
| 7 | メキシコ | 35 |
| 8 | 英国 | 35 |
| 9 | ロシア | 32 |
| 10 | イラン | 28 |
また、ユネスコが定義する地域区分で見ると、ヨーロッパ・北米地域の登録数の多さが際立ちます。
表2:ユネスコ地域別 世界遺産登録数(2024年7月時点)
| 地域 | 文化遺産 | 自然遺産 | 複合遺産 | 総計 | 割合 | 登録物件を持つ締約国数 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| ラテンアメリカ・カリブ海 | 103 | 39 | 8 | 150 | 12.26% | 28 |
| ヨーロッパ・北米 | 490 | 71 | 12 | 573 | 46.85% | 50 |
| アジア太平洋 | 211 | 73 | 12 | 296 | 24.20% | 36 |
| アラブ諸国 | 87 | 6 | 3 | 96 | 7.85% | 18 |
| アフリカ | 61 | 42 | 5 | 1081 | 8.83% | 36 |
| 合計 | 952 | 231 | 40 | 1223 | 100% | 168 |
これらの数字は、単なる偶然ではなく、ヨーロッパが持つ深い歴史的背景、文化的な豊かさ、そして遺産保護に対する独自の思想と体制が複雑に絡み合った結果であると考えられます。
特に、世界遺産リストの初期段階における登録傾向を見ると、1978年から1990年代にかけて、毎年ヨーロッパからの登録数が他の地域に比べて一貫して多い傾向が読み取れます 。
これは、世界遺産条約が制定された初期の段階で、登録基準や評価プロセス、そしてそれを推進する主体(ユネスコや諮問機関)の構成が、ヨーロッパの文化や歴史的価値観に強く影響を受けていた可能性を示唆しています。
実際、1994年時点で世界遺産リストが「登録物件の種類と地理的地域においてバランスを欠いており、その大半が先進国、特にヨーロッパに位置していた」ことがユネスコ自身によって認識され、これを受けて「グローバル戦略」が採択されたことが述べられています 。
この偏りは、条約が「普遍的価値」を標榜しながらも、その概念形成と初期運用が特定の文化的・地理的背景に根差していたことを示しており、条約の「普遍性」が後から追求されるべき目標であったことを意味しています。
本記事では、なぜ世界遺産がヨーロッパに集中しているのか、その多角的な理由を深く掘り下げていきます。
第1章:遺産保護思想の揺りかごとしてのヨーロッパ
1.1 古代から近代へ:文化財保護の概念の誕生
文化財保護の概念は、19世紀のヨーロッパで誕生したとされていますが、その萌芽は古代にまで遡ります 。
紀元前2世紀のローマの著述家ポリュビオスは、シチリアのギリシャ聖域からの略奪を批判し、1世紀後にはキケロがシチリア総督ガイウス・ヴェレスの過剰な略奪を告発しています 。
これは、古代においても文化財の略奪に対する批判的な視点が存在したことを示唆しています。
17世紀から18世紀にかけては、オランダの法学者フーゴー・グロティウスや国際法理論家エメリッヒ・デ・ヴァッテルが、芸術作品は軍事努力に役立たないため保護されるべきであるという原則を確立しました 。
19世紀にはナショナリズムの台頭とともに、歴史的建造物の保護が本格化しました 。
ドイツでは、19世紀半ばに制定された建設抑制地区(1868年のパーデン地域道路法、1871年のプロイセン建築線法など)に文化景観保全の萌芽が見られます 。
イギリスでは1887年の歴史的建造物保全制度に始まり、1960年代には都市と農村を対象とする文化景観保全の取り組みが本格化しました 。
ナポレオン戦争後の混乱期には、フランスによるヨーロッパ各地からの美術品略奪に対し、イギリスが返還を要求するなど、国際的な文化財保護の意識が高まりました 。
ナショナリズムは、歴史的モニュメントの再建を強く推進し、国民的アイデンティティや共同体意識を強化する役割を果たしました 。
ドイツでは、歴史協会が地域史の痕跡や資料の探索、考古学的遺物の特定、重要なモニュメントの保護に尽力しました 。
この文化財保護思想の発展は、啓蒙主義、ロマン主義、そしてナショナリズムといったヨーロッパの主要な思想潮流と深く結びついています 。
啓蒙主義は科学的分類と合理的な保存を、ロマン主義は遺跡の美学と芸術作品の独自性を、ナショナリズムは国民的遺産としての認識をそれぞれ促進しました。
このように、世界遺産条約の根底にある「普遍的価値」という概念自体が、ヨーロッパにおける文化財保護の歴史的・哲学的発展の延長線上にあると言えます。
ヨーロッパは単に遺産が多いだけでなく、遺産を保護し、その価値を認識するという思想的・制度的基盤を世界に先駆けて確立したことが、その後の世界遺産登録数の多さに繋がる根本的な要因の一つです。
第一次世界大戦、特に第二次世界大戦における文化財の破壊と略奪は、国際社会にその保護の重要性を痛感させました 。
これを受けて、1954年にはユネスコが「武力紛争の際の文化財の保護に関する条約(ハーグ条約)」を採択しました。
これは、紛争時における文化財保護のための国際的な枠組みを定めた初の条約です 。ハーグ条約は、文化財を軍事目的で使用しないこと、盗難や略奪を防ぐことなどを義務付け、国際法における文化財保護の基礎を築きました 。
1.2 世界遺産条約の誕生とヨーロッパの主導的役割
ユネスコは、二度の世界大戦の破壊を経て、教育、文化、科学、情報を通じて永続的な平和を築くことを目指して1946年に設立されました 。その憲章前文には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」と記されています 。
世界遺産条約の誕生に大きな影響を与えたのが、1960年代にユネスコが主導した「ヌビア遺跡救済キャンペーン」です 。
エジプトのアスワン・ハイ・ダム建設により水没の危機に瀕したヌビア地方のモニュメント(アブ・シンベル神殿など)を救うため、ユネスコは国際的な資金と専門家を動員しました 。
このキャンペーンには50カ国が参加し、総額8000万ドル(うち4000万ドルは信託基金)が投じられ、22のモニュメントが移設・救済されるという歴史的な成功を収めました 。
オーストリア、ベルギー、フランス、ドイツ、ギリシャ、イタリア、ルクセンブルク、モナコ、オランダ、ノルウェー、ルーマニア、スペイン、スウェーデン、スイス、英国、ソ連、ユーゴスラビアなど、多くのヨーロッパ諸国がこのキャンペーンに財政的・技術的に貢献しました 。
この成功は、国際協力による文化財保護の有効性を示すベンチマークとなり、後の世界遺産条約の具体的な行動計画の基礎となりました 。
世界遺産条約は、1965年から1972年の7年間をかけて策定されました 。
ユネスコは国際記念物遺跡会議(ICOMOS)の協力を得て、文化遺産保護に関する草案を作成しました 。
ICOMOSは、文化遺産に関する諮問機関として、ノミネーション評価、既存サイトのモニタリング、能力構築、技術・政策助言など、条約の運用において極めて重要な役割を担っています 。
IUCN(国際自然保護連合)も自然遺産に関する公式諮問機関として、1972年以来、条約の運用に深く関与しています 。IUCNは1947年にスイスで設立され、世界自然保護基金(WWF)も1961年にスイスで設立されるなど、自然保護分野でもヨーロッパが主導的な役割を果たしてきました 。
これらの専門機関の多くがヨーロッパに拠点を持ち、その専門家が条約の理念、基準、運用ガイドラインの策定に深く関与したことは、初期の登録リストにヨーロッパの遺産が多く含まれる構造的な要因となりました 。
ヨーロッパは、単に自国の遺産を登録するだけでなく、「文化財保護」という概念自体を国際規範として確立し、その運用メカニズムを主導することで、国際社会における自らの文化的・知的リーダーシップを確立しました。
これは、政治的・経済的影響力だけでなく、文化的な「ソフトパワー」を国際協力の形で発揮した結果であり、世界遺産リストの形成に深い影響を与えました。
しかし、世界遺産条約は「世界の人が共通して守るべき顕著な普遍的価値」を定義しているにもかかわらず 、1994年時点のリストは「ヨーロッパの歴史的な町や宗教的モニュメント、キリスト教、歴史的時代、そして『エリート主義的』な建築が過剰に表現されていた」と指摘されています 。
これは、条約の理念が「普遍的」である一方で、その策定と初期の運用が、主導的な役割を果たしたヨーロッパの専門家たちの文化的背景や価値観に強く影響されていたことを示唆しています。
第2章:人類の創造性が凝縮された「文化の宝庫」
2.1 圧倒的な歴史的・芸術的遺産の多様性
ヨーロッパは、古代ギリシャ・ローマ文明に始まり、中世のロマネスク様式やゴシック様式、ルネサンス、バロック、ロココ、新古典主義、さらには近代建築に至るまで、人類の建築史・芸術史における主要な潮流が次々と生まれ、発展しました 。
これらの遺産は、「人類の創造的才能の傑作を代表するもの」(基準i)、「建築や技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展において、重要な価値観の交流を示すもの」(基準ii)、「現存するか消滅した文化の伝統または文明に関する他に類を見ない、または少なくとも例外的な証拠となるもの」(基準iii)といった文化遺産の登録基準に合致するものが非常に多いです 。
表3:ヨーロッパの主要建築様式と代表的な世界遺産例
| 建築様式 | 特徴 | 代表的な世界遺産例(国) |
|---|---|---|
| 古代ギリシャ・ローマ | 円柱、アーチ、ドーム | パルテノン神殿(ギリシャ)、コロッセオ(イタリア)、ローマ歴史地区(イタリア) |
| ロマネスク | 厚い壁、小さな窓、半円アーチ | ピサ大聖堂(イタリア)、マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園(イタリア) |
| ゴシック | 尖頭アーチ、高い尖塔、フライングバットレス | ノートルダム大聖堂(フランス)、ケルン大聖堂(ドイツ)、アミアン大聖堂(フランス) |
| ルネサンス | 左右対称、ドーム、古典様式の復興 | フィレンツェ歴史地区(イタリア)、サン・ピエトロ大聖堂(バチカン市国) |
| バロック | 装飾過多、劇的表現、壮大さ | ヴェルサイユ宮殿(フランス)、カールス教会(オーストリア) |
| 近代建築 | 機能性、シンプルさ、ガラス・鉄の使用 | バウハウスとその関連遺産群(ドイツ) |
ヨーロッパの都市は、古代ローマの都市計画から中世の城塞都市、ルネサンス期の理想都市、バロック期の壮大な都市改造、さらには産業革命後の都市景観に至るまで、人類の都市発展の歴史を物語る生きた博物館です 。
例えば、リヨン歴史地区はソーヌ川とローヌ川に挟まれた半島を中心に中世からの繁栄を残す建築物が街並みを形成しており、都市計画の優れた例として登録されています 。
文化景観という概念は、1992年に世界遺産リストに導入され、「自然と人類の複合的な作品」として、物理的・自然的環境の影響下での人類の発展と定住の進化を示しています 。
ヨーロッパには、ワイン生産地や農業景観など、人と自然の相互作用によって形成された美しい文化景観が豊富に存在します 。
イタリアは60件の登録数を誇り、古代ローマ帝国の遺構(ローマ歴史地区、ポンペイ)、ルネサンスの中心地(フィレンツェ歴史地区、ヴェネツィア)、バロック様式の傑作(サン・ピエトロ大聖堂)など、多様な時代と様式の文化遺産が集中しています 。
フランスは、ノートルダム大聖堂やルーヴル美術館を含むパリのセーヌ河岸、モン・サン・ミシェル、ヴェルサイユ宮殿など、ゴシックからバロック、近代に至るまで、フランスの歴史と芸術を象徴する遺産が多数あります 。
ドイツは、ケルン大聖堂(ゴシック)、ノイシュヴァンシュタイン城(ロマン主義)、バウハウスの建築群(近代)など、多様な時代と様式の建築物が登録されています 。
スペインは、アルハンブラ宮殿(ムーア建築)、トレド歴史地区(多文化共生)、アントニ・ガウディの作品群(モデルニスモ)など、異文化交流の歴史を示す遺産が特徴的です 。
ヨーロッパの文化は、「ギリシャ・ローマの古代、キリスト教、ユダヤ教、ルネサンス、啓蒙思想、フランス革命、そしてあらゆる種類の社会主義を含む近代の発展」から派生した共通の文化的・精神的遺産を持つと説明されています 。
古代エジプト、ギリシャ、メソポタミア文明が芸術表現の基礎を築き、ヨーロッパのルネサンス期が古典的理想を復活させ、芸術的景観を変革したと指摘されています 。
このように、ヨーロッパは、単一の文明や時代に限定されず、数千年にわたる多様な文明、思想、芸術運動が連続的かつ重層的に発展してきた地域です。
この「文化の層の厚さ」が、世界遺産の多様な登録基準の多くに合致する「顕著な普遍的価値」を持つ物件を圧倒的に多く生み出した根本的な理由です。
つまり、量だけでなく、質と多様性においても「世界遺産」の定義に合致する候補が極めて豊富なのである。
2.2 価値観の交流と人類史の重要な舞台
ヨーロッパは、地中海を介した古代文明との交流(ギリシャ・ローマと中東・北アフリカ)、十字軍や大航海時代を通じたアジア・アフリカ・アメリカ大陸との交流、そして内部での国家間の交流を通じて、常に多様な価値観が交錯する場でした 。
例えば、スペインのロマネスク美術は東方的な色彩やモサラベ美術の影響を受け、ドイツのロマネスク美術はイタリア経由でビザンティン美術の要素と融合しました 。
これらの交流は、建築、芸術、都市計画、科学技術に新たな発展をもたらし、それが多くの文化遺産として結実しています 。
ヨーロッパは、産業革命の発祥地であり、その後の科学技術の発展、社会構造の変化をリードしました 。
富岡製糸場(日本)のように、産業革命の遺産は世界各地に存在しますが、ヨーロッパにはその発祥地として、初期の工場、鉄道、運河などの産業遺産が数多く残り、人類の技術的・経済的発展の重要な段階を示しています。
ヨーロッパの遺産は、単にその地域内で価値があるだけでなく、歴史的に世界の他の地域(特に植民地化された地域)に大きな影響を与え、その文化や技術が伝播・変容する「中心地」としての役割を担ってきました。
世界遺産の登録基準(ii)は「建築や技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展において、重要な価値観の交流を示すもの」を普遍的価値と認めています 。
この「影響力」自体が、ヨーロッパの多くの遺産が「普遍的価値」の基準に合致しやすい背景となっています。つまり、歴史的な中心性や影響力が、遺産の普遍性を「認定」されやすくしている側面があると考えられます。
第3章:遺産を支える強固な基盤:地理的・経済的・制度的要因
3.1 密集した歴史と地理的特性
ヨーロッパ大陸は、ユーラシア大陸の北西に位置し、比較的小さな面積に多くの国々がひしめき合っています 。
この地理的な近接性が、多様な文化や文明が互いに影響を与え合い、歴史的層を形成する土壌となりました 。
山脈、広大な平野、多くの半島や島々といった多様な地形が、地域ごとの独自の文化発展を促しつつ、同時に交流を活発化させました 。
例えば、スイスでは国土の約8%に建物群や商業地域が集中し、歴史的建造物が高密度に存在します 。
オーストリアのハルシュタット・ダッハシュタイン/ザルツカンマーグート文化景観のように、自然景観と塩鉱業の歴史が融合した場所も存在します 。
ローマ帝国時代から発達したインフラは、ヨーロッパ南部の地域を結びつけ、貿易と異文化交流を促進しました 。
現代においても、ヨーロッパは高度に発達した交通網を持ち、これにより多くの世界遺産が容易にアクセスできます。これは、観光客の誘致や遺産の経済的価値向上にも寄与しています 。
遺産へのアクセスが容易であることは、その保護・管理体制の維持にもつながり、ノミネーションプロセスにおける「管理計画」の実行可能性を高める要因となります。
ヨーロッパの地理的特性は、単に多くの遺産が存在するだけでなく、それらの遺産が互いに近接していることで、文化的な影響が複合的に重なり合い、より多様で豊かな「文化の集積」を生み出しました。
また、狭い範囲に高密度に遺産が分布していることは、発見、研究、そして世界遺産としての特定とノミネーションのプロセスを効率化する要因ともなります。
つまり、地理的な「見つけやすさ」と「研究しやすさ」も、登録数の多さに寄与していると考えられます。
3.2 安定した経済力と遺産管理体制
ヨーロッパの多くの国々は、文化遺産保護に対し、国家予算から継続的に投資を行っています。
2023年には、EU全体で文化サービスに811億ユーロ(総政府支出の1.0%)が割り当てられました 。これは、文化遺産が経済的資産であり、観光誘致や雇用創出に貢献するという認識があるためです 。
EU自体も、文化遺産保護に対して限られた権限ながらも、財政支援、共同プロジェクトの調整、知識共有を通じて貢献しています 。
例えば、「クリエイティブ・ヨーロッパ」などの資金プログラムを通じて、文化・創造産業を支援しています 。文化遺産は、EUのGDPに貢献し、観光業を通じて数百万の雇用を創出しています 。
ICOMOS(国際記念物遺跡会議)やIUCN(国際自然保護連合)といった世界遺産条約の諮問機関は、その設立経緯からヨーロッパの専門家が深く関わっており、遺産保護に関する高度な専門知識とネットワークをヨーロッパ諸国が有しています 。
これらの機関は、ノミネーションの評価、既存サイトのモニタリング、能力構築、技術的・政策的助言を提供し、世界遺産の厳格な登録基準(顕著な普遍的価値、真実性、完全性、適切な保護管理体制)を満たすための支援を行っています 。
世界遺産の登録プロセスは非常に複雑で、数年を要し、多大な費用と専門知識が必要です 。候補地の選定(暫定リストの作成)、詳細な推薦書(ノミネーション・ドシエ)の作成、比較分析、真実性・完全性の証明、保護管理体制の確立など、多岐にわたる作業が求められます 。
このプロセスは、資金と専門人材、そして長期的なコミットメントを必要とします 。ヨーロッパ諸国は、歴史的に確立された文化財保護機関、専門家、そして安定した財政基盤を持つため、この複雑なプロセスを効果的に遂行する能力が高いと言えます 。
特に、ノミネーション・ドシエの作成には、多額の費用(米国では50万ドル以上)がかかる場合があり、これを賄える経済力も重要です 。
ヨーロッパは、単に遺産を「持っている」だけでなく、それを「保護し、管理し、世界遺産として登録する」ための高度に専門化された「産業」と「システム」を構築してきました。
これは、文化財保護を単なる文化活動としてではなく、経済的価値を持つ公共事業として捉え、継続的な投資と人材育成を行ってきた結果です。この「保護産業」の成熟度が、ノミネーションの質と数を高め、結果として世界遺産登録数の多さに直結していると考えられます。
さらに、ヨーロッパ諸国は、世界遺産条約の創設期から深く関与してきたことで、その運用ルール、評価基準、ノミネーションプロセスの「ノウハウ」を早期に、かつ豊富に蓄積してきました 。
この「先行者利益」は、他の地域に比べて、より効率的かつ効果的に自国の遺産を推薦し、登録に導くための知識と経験の優位性をもたらしました。
これは、単なる経済力や遺産の豊富さだけでなく、制度的な熟練度が登録数の多さに寄与していることを示しています。
第4章:世界遺産リストの「偏り」と未来への課題
1972年の世界遺産条約採択から22年後の1994年時点で、世界遺産リストは「登録物件の種類と地理的地域においてバランスを欠いており、その大半が先進国、特にヨーロッパに位置していた」ことがユネスコ自身によって認識されました 。
1987年から1993年にかけてICOMOSが行った調査では、ヨーロッパ、歴史的な町、宗教的モニュメント、キリスト教、特定の歴史時代、そして「エリート主義的」な建築がリスト上で過剰に表現されている一方で、現存する文化、特に「伝統的な」文化が過小評価されていることが明らかになりました 。
この偏りを是正し、世界の文化・自然遺産の全範囲をより良く反映させるために、世界遺産委員会は「グローバル戦略」を採択しました 。
この戦略は、遺産の定義をより広範にし、人類と土地との共存、文化的な共存、精神性、創造的表現といった側面も評価対象とすることを目指しています 。
しかし、2010年代に入っても「ヨーロッパ諸国はより成功し続け、南半球の国々はその願望が実現されるのを見るために委員会セッションで反発した」と指摘されており、北半球(特にヨーロッパ)の偏りが依然として存在し、世界遺産の専門知識における「北半球バイアス」が続いている可能性が示唆されています 。
初期の「普遍的価値」の概念は、ヨーロッパの記念碑的建築物やキリスト教関連遺産といった特定の文化的・歴史的視点に偏っていたことが、リストの偏りの一因でした。グローバル戦略は、この「普遍的価値」の概念自体を再定義し、多様な文化圏の価値観を包摂しようとする試みであり、リストの再均衡化は、普遍性の追求という条約本来の理念に立ち返るための不可欠なプロセスです。
これは、世界遺産が静的なリストではなく、常に進化し、自己修正していく動的なシステムであることを示しています。
初期のリストは文化遺産が圧倒的に多く、自然遺産とのバランスも課題でした 。
グローバル戦略は、このバランスの是正も目指しています。世界にはまだ「顕著な普遍的価値」を持つにもかかわらず、政治的・経済的・技術的な理由からノミネーションに至っていない地域や種類の遺産が数多く存在すると考えられます。
特に、アフリカやアラブ諸国、ラテンアメリカ・カリブ海地域など、登録数が少ない地域には、未発見または未評価の潜在的な世界遺産が豊富に存在します 。
世界遺産条約は、生物多様性の損失、気候変動、汚染といった新たな脅威にも直面しており、これらの課題に対応するための新しいアプローチが求められています 。
ICOMOSは、未登録地域の特定や、遺産保護における新たな概念(例:最近の紛争に関連する記憶の場所)の議論を通じて、よりバランスの取れたリストの実現に取り組んでいます 。
また、「文化遺産」の定義も、伝統的な記念碑から文化景観(人と自然の複合的な作品)へと拡大しており、より多様な遺産が評価されるようになっています 。
しかし、世界遺産のノミネーションプロセスが複雑で、多大な費用と専門知識を要するという事実 は、リストの偏りを助長する可能性を秘めています。
資金や専門人材が不足している国々にとっては、この複雑なプロセス自体が大きな障壁となり、結果として、顕著な普遍的価値を持つにもかかわらず登録されない遺産が存在し続けることになります。
これは、リストのギャップの理由として「構造的なもの(ノミネーションプロセス、管理・保護に関連するもの)」が挙げられていることからも裏付けられます 。
より公平で代表的なリストを目指すためには、このような登録プロセスの「障壁」を低減するための国際的な支援と協力が不可欠です。
結論:多様な価値を未来へつなぐために
世界遺産がヨーロッパに多いのは、単に歴史的・文化的遺産が豊富であるというだけでなく、遺産保護という思想がヨーロッパで生まれ、その概念と制度が国際的な枠組みへと発展する過程で、ヨーロッパが主導的な役割を果たしてきたことに深く起因しています。
古代からの文化財への意識、19世紀のナショナリズムによる保護運動の台頭、そして二度の世界大戦の教訓から生まれたハーグ条約とユネスコの世界遺産条約の成立において、ヨーロッパ諸国は思想的、法的、そして実務的な面で中心的な役割を担いました。
特に、ヌビア遺跡救済キャンペーンの成功は、国際協力による遺産保護の可能性を示し、条約策定の大きな推進力となりました。
また、ヨーロッパは、古代ギリシャ・ローマから近代に至るまで、人類の創造性が凝縮された多様な建築様式や芸術の傑作を数多く生み出してきました。
これらの遺産は、世界遺産の登録基準が求める「普遍的価値」の多様な側面(創造的才能、価値観の交流、文明の証拠、人類史の重要な段階)に合致するものが極めて豊富です。さらに、比較的小さな国土に多様な文化が密集し、交通網が発達している地理的特性は、遺産の発見、研究、そしてアクセスを容易にしました。
加えて、ヨーロッパ諸国の安定した経済力と、遺産保護のための強固な制度的基盤、そしてICOMOSやIUCNといった専門機関の存在は、世界遺産登録という複雑で費用のかかるプロセスを効果的に遂行する能力を支えてきました。
条約の創設期からの深い関与は、ヨーロッパに「先行者利益」と「知識の蓄積」をもたらし、ノミネーションの成功率を高める要因となりました。
しかし、世界遺産リストの現状には、初期の登録におけるヨーロッパ中心主義という「偏り」が存在することも事実です。
ユネスコは「グローバル戦略」を通じて、この偏りを是正し、より多様な文化圏の遺産や自然遺産とのバランスを追求しています。
気候変動などの新たな脅威に対応し、より公平で代表性のあるリストを実現するためには、登録プロセスの障壁を低減し、世界各地の潜在的な価値ある遺産を発掘し、保護するための国際的な協力と投資が今後も不可欠です。
世界遺産は、人類共通の遺産として、その多様な価値を未来へとつなぐための継続的な努力が求められています。
動画で覚える
現在YouTubeやTikTokで世界遺産紹介をしています!
名称や概要がまだぼんやりしている方はショート動画、さらに詳しく理解を深めたい方は横動画を活用していただけると幸いです。
まだまだ本数が少ないですが、頑張って随時更新しております!
ショート動画なので全ての情報を紹介しているわけではありませんが、テキストの重要箇所を意識して作成しております。
コンセプトは覚えやすいように、ということを意識してます。
使い方はまずテキストをある程度読み込んだら、復習で動画を見ることで、よりイメージが出来たり知識として定着させることを狙っています。

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